現在栽培されているキャッサバの原型となったことがわかっているM. e. flabellifolia
亜種の分布は中央ブラジル西部を中心としており、ここで少なくとも1万年前には栽培が始まった[Olsen, Kenneth M.; Schaal, Barbara A. (1999) "Evidence on the origin of cassava: Phylogeography of ]Manihot esculenta
" in Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS), Vol. 96, Issue 10, p. 5587 & 5590.。しかし種全体としてはブラジル南部とパラグアイのあたりで発生したらしい。現存するキャッサバの全ては栽培種を祖先としている。
メキシコ、
タバスコ州の
サンアンドレス遺跡から出土したキャッサバの花粉から、6600年前までにはそこでキャッサバが生育していたことがわかっている
[Pope, Kevin; Pohl, Mary E. D.; Jones, John G.; Lentz, David L.; von Nagy, Christopher; Vega, Francisco J.; Quitmyer Irvy R.; "[外部リンク] Origin and Environmental Setting of Ancient Agriculture in the Lowlands of Mesoamerica", Science, 18 May 2001:Vol. 292. no. 5520, pp. 1370 - 1373.]。現存する最も古いキャッサバ栽培の証拠は、
エルサルバドルにある1400年前の
マヤ遺跡
ホヤ・デ・セレンで見つかった
[University of Colorado at Boulder, (2007) [外部リンク] "CU-Boulder Archaeology Team Discovers First Ancient Manioc Fields In Americas", press release August 20, 2007, accessed August 29, 2007.]。食料用の作物としての有用性から、スペインによるアメリカ大陸の植民地化が始まる15世紀末までには南アメリカ北部、中央アメリカ南部、西インド諸島の人々の主食となっており、
モチェ文化の
鐙型注口土器など、
コロンブス以前に作られた工芸品のモチーフともされた。スペイン人とポルトガル人による植民地化後も栽培が続けられた。
17世紀に
奴隷貿易が盛んになると、アフリカから新大陸までの月単位を要する輸送期間、奴隷を船内で生かしておく必要があった。ブラジルを支配していた
ポルトガル人は栽培が容易なキャッサバを奴隷貿易用の食料として採用し、アフリカを中心に全世界に広めた。日系移民が米の栽培に成功するまでの長い間、ブラジル人の主食といえばマンジョカだった。現在でもブラジル人の食生活には欠かせない食材である。