一方、オスマン帝国側は、スルタン直属の最精鋭部隊であった
イェニチェリ軍団2万人を中心とした10万人の大軍勢に加え、海からも包囲するために艦船を建造させた。また
ハンガリー人の
ウルバンという技術者を雇い、当時としては新兵器であった
大砲を作らせた。それは長さ8m以上、直径約75cmという巨大なもので、544kgの石弾を1.6km先まで飛ばすことができた。東ローマ帝国にも大砲はあったが、より小さいもので、射撃の反動で城壁を傷つけることがあった。ただし、
ウルバンの巨砲にも欠点はあった。「コンスタンティノープルのどこか」といったような、かなり大きな標的でさえも外すほど命中精度が低かったのである。さらに一回発射してから次の発射までに、3時間かかった。砲弾として使える石が非常に少なく、射撃の反動が元で6週間使うと大砲が壊れるという始末であった。
メフメト2世は、コンスタンティノープルが唯一陸地に面する西側の城壁から攻撃しようとし、
1453年4月2日の
復活大祭の日に、都市郊外に軍隊を野営させた。7週間にわたり、大砲により城壁を攻撃したが、十分に崩すことはできなかった。というのは、射撃間隔がとても長かったため、東ローマ帝国側はその損害のほとんどを回復することができたためである。一方、メフメト2世の艦隊は、
金角湾の入り口に東ローマ帝国側が渡した太い鎖によって、その中に入ることができなかった。途中、救援物資を積載したジェノヴァ船3隻と東ローマ船1隻が金角湾に来航し、オスマン艦隊と海戦になったもののオスマン艦隊は彼らを拿捕する事に失敗した。