日本語では、一般的に
英語名 の音訳である「コンスタンティノープル」がよく用いられているが、古典ラテン語では「
コーンスタンティーノポリス」、古典ギリシア語では「
コーンスタンティヌーポリス」、中世ギリシア語及びそれを受け継ぐ近現代ギリシア文語(
カサレヴサ)では「
コンスタンディヌポリス」、現代ギリシア語(
ディモティキ)では「
コンスタンディヌーポリ(コンスタンディヌポリ)」のように呼称される。
1453年にオスマン帝国に占領されてからは、
オスマン語で「コンスタンティニエ」と呼ばれた。
哲学・思想学の分野で
ギリシア語文献を日本語訳する際などは、ギリシア語ではなくラテン語の慣用的な音訳「コンスタンティノポリス」が使用されることが多い。
ビュザンティオンは、
古代ギリシアの植民都市に起源を持ち、古来よりアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝であり、また天然の良
港である
金角湾を擁していた。
コンスタンティヌス1世は、
リキニウスとの内戦の中で324年にビュザンティオンを攻略すると、この地に着目し、都市計画を一新して「コンスタンティノポリス」を建設した。開都式は330年
5月11日に行われた。この当時、コンスタンティノープルはローマ帝国の一地方都市の域を出ていなかった。コンスタンティヌス1世がローマに代わる「新しいローマ」を建設したという考えは、当時は存在しなかったようである
[井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社〈講談社学術文庫〉、2008年]。市域もビュザンティオン時代と比べれば大幅に拡大されたが、後代より狭かった。コンスタンティヌスの後継の皇帝達もこの街に常住したわけではなかった。