ジーン・バッキー wikipedia|無料辞書
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|没年月日 =
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|利き腕 = 右
|打席 = 右
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・
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阪神ファンの間で過去の最も偉大な外国人選手を語る際に、
「投のバッキー、打のバース」と真っ先に投手陣筆頭で名前が挙げられる存在である。
◆来歴・人物
阪神入団当初はコントロールが悪かったが、
1964年新任の
杉下茂投手コーチによる猛烈なトレーニングで下半身を鍛えられ、さらに
小山正明の
スライダーを研究することで制球力をつけた。上手、横手からの変幻自在な投法と得意の
ナックルを決め球として先発投手の仲間入りをし、小山正明がトレードで抜けた後二枚看板のエースとして
村山実とともに活躍した。
テスト入団であったため、通訳もつけてもらえず、住居も長屋住まいで家族4人肩を寄せ合い暮らしていたのは有名な話。そのためハングリー精神旺盛であり、また日本語を覚え、チームメートとも溶け込み、仲良くなっていった。「日本人以上に日本人らしい助っ人外人だった」と藤本も語っている。
引退後は高校の教師をつとめ、のち牧場経営に携わっている。既に引退して数十年経つが、OB戦や仕事の関係で、たびたび来日している。ONや荒川とも遺恨はなく、ともにセリーグで戦ったライバル同士として非常に仲がよいようである。
◆その他
彼の姓の発音は日本語で表記すると「バックエ」に近い。日本に来た際に、「バックエ」では化け物を連想させる等の理由で、戦前に活躍した
バッキー・ハリスにあやかり「バッキー」と表記することになった。
当時のチームメイトの証言によると、巨人戦ではいつも以上に勝利への執念を燃やし、マウンドのプレートを土で隠して見えないようにし、プレートの前から投げることがしばしばだったという。あるとき、バッキーの好投に敗れた試合後、
長嶋茂雄は
「今日のバッキーはいつもより大きく見えた」と語ったことがある。
入団テストを受けに来た時のバッキーは球威もなくコントロールもむちゃくちゃで、首脳陣は「こらアカン。使いモンにならん。」と落胆したが、あまりにもみすぼらしいバッキーの姿に同情した藤本定義監督の意向で入団が決まった。
茶目っ気のある性格でチームメイトはもちろん他球団の選手からも親しまれた。九回二死に太洋ホエールズの
浜中祥和にヒットを打たれ、ノーヒットノーランを打ち砕かれたバッキーは、翌日浜中を見つけるや「コラ〜!浜チャン〜!コラ〜!」と叫びながら浜中を追っかけまわし周囲を笑わせた。
◆ 年度別投手成績