プロ野球ストライキ wikipedia|無料辞書
プロ野球ストライキ(ぷろやきゅうすとらいき)とはプロ野球の選手が
ストライキすることによって、プロ野球の試合が行われなくなること。
◆ 日本
2004年
6月、
近鉄の親会社の財務状況が厳しくなったことを理由に近鉄が
オリックスとの合併を発表し
プロ野球再編問題が起こる。この合併構想は
1958年以来続いていた2リーグ12球団制の根幹を崩すものであり、1リーグ制も視野に入れた球団の削減が見込まれた。
日本プロ野球選手会は球団数削減を見込んだ近鉄とオリックスの合併に反対する。
7月10日に選手会は臨時大会を招集し、大阪近鉄・オリックス両球団合併の一年の凍結、両球団の合併が野球界にとって最良の選択か否かを討議、来シーズンからの合併が強行された場合の選手会のストライキ権行使の可能性を決議した。この際、日本プロ野球全体の問題として球団経営の改善策の提言も決議している。
8月12日、選手会はスト権を確立した。同日までの開票で組合員752人中賛成648、反対7、無効扱い6(未開票91)という結果だった。
9月6日、選手会はオリックスと近鉄の球団合併の1年間凍結などの要求が受け入れられない場合のストライキの実施を決議。ストライキは「
11日以降、9月中の毎週土日に開催される一軍&二軍全公式試合(セ・リーグ、パ・リーグ、イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ)」が対象となった。合併当事者である近鉄を中心に無期限という意見が出たが、12球団で一斉にやることを理由に土日に限定したストライキを決議した。しかし、需要が見込まれやすい事例のストライキは社会への反発が大きいため敬遠される向きが強く(
鉄道会社のストライキにおいて、
通勤時間帯での運行は行う措置はそのためとされる)、土日という最も需要が見込まれる時期柄にストライキを設定したことに疑問を持つ専門家もいた。
◇ 2004年9月11日・12日のストライキ回避
9月9・
10日の両日、
大阪市内にて NPB・球団側と選手会との労使交渉(団体交渉)が行われた。この席で
暫定合意点に関する申し合わせが行われ、これにより9月11・
12日に選手会が予定したストライキはひとまず回避された。しかし、記者会見で
瀬戸山隆三代表が
古田敦也選手会長に握手を求めた際、古田がこれを拒否するなど両者の間にはまだ溝が残されたままであった。
◇2004年9月18日・19日のストライキ
9月16・
17日、改めて球団側と選手会の団体交渉が東京で行われた。17日の17時までだった交渉期限を2時間延長しても合意には至らず、結果的に同日20時半頃交渉が決裂し、選手会・球団側の双方は21時10分頃より会見を行い選手会側は
18・
19日のストライキ決行を発表した。
このストライキの試合はセリーグは1位と2位との直接試合、3位と4位の直接試合、5位と6位の直接試合であったこと、パリーグは1位が2位との直接対決で勝てば1位が決定する試合だったこと、3位と4位も直接対決ではなかったがゲーム差が0.5でありプレーオフ進出に重要な問題があったことなど、シーズン終盤において注目される試合が目白押しであった。
ストライキ中、各球団選手会は独自にサイン会や握手会などのイベントを開催した。また試合が行われる予定だった球場で練習なども行ったが、球団から資金が出なかったため、移動はバスではなく徒歩で行ったり、クリーニング代を節約するためにユニフォームを着ないでジャージ姿で行ったり、球拾いを選手自身が行ったりしていた。一部球団では球場および球団施設(練習施設・合宿所・寮・ロッカーなど)を閉鎖または使用の都度、使用料を請求する
ロックアウトの検討がされた。
野球協約の第7条では「野球活動休止1
日につきの年俸の300分の1を減俸することができる」とあり、今回のストライキはこれにあたるとされ、規定に基づき球団はストライキに参加した選手の年俸をその分削減したが、ストライキで試合中止になったために生じた損失はこれ以上とされている。なお、日本プロ野球選手会に所属していない外国人選手についてはストライキに参加していなかったため減俸できなかった。
また日本プロ野球選手会は、9月19日に
東京銀座ヤマハホールで「みんな野球が好きなんだ」をテーマとして「ファンと選手の集い」というイベントを開催した。告知期間は短かったが、多くのファンが来たため、1回の予定を急遽2回に変更している。
18日・19日の民放ラジオ局は、解説予定の解説者を招いて、揃って「どうなる?!プロ野球」等のテーマで聴視者からFAX、メールを募る特番を組み、討論番組を放送した。