定員1名。3万石以上の
譜代大名から任命、
役料1万石が給され
与力30騎(後50騎)
同心100人が付属。京都の制圧、朝廷・公家の監察、西日本諸大名の監視,五畿内及び近江、丹波、播磨の8カ国の民政を総括した。特に初期は
徳川家康、
徳川秀忠、
徳川家光の歴代将軍が度々上洛し所司代体制と将軍上洛の不可分の関係がみられた。幕府支配一元化の方向が見えた1688年京都支配など民生上の権限を
京都町奉行に譲った。以後は
老中への出世の通過点となり、地位のみが高く幕政上の政治力は急激に低下した。このため幕末には所司代の無力さが指摘され京都守護職がその上位機関として設置された。
京都に置かれた役人の総元締めの立場にあったが、京都市政を預かる京都町奉行や宮中・御所の監督にあたる禁裏付などの役職は平時は所司代の指揮に従うものの、老中の管轄であった。