具体的には
大名・
旗本が
将軍に拝謁する際、あるいは在国の大名が献上品を使者に持たせて
江戸城に派遣した場合に、その氏名と献上品の内容を確認して将軍に報告し、将軍が
下賜を行う際にその伝達にあたった。更に大名の
転封などの重大な決定や大名家の不幸に際して上使として派遣されたり、
徳川将軍家及び
御三家の法要において、将軍が参列できない場合の代参を行うこともあった。また、将軍の御前で
元服を行う大名・世子に礼儀作法を教える役目も担った。
幕府では、定員の定めは特にないが20-30名とされている。通説では
慶長8年(
1603年)の
本郷信富の任命を最初とするが、それ以前に求める異説もある。後に
譜代大名が就任する役職となり、多くの場合初任の役職となるため大名にとっては出世の
登竜門的な役職となっている。また、大名・旗本と将軍との連絡役となるため、
大目付・
目付と並ぶ枢要な役職でもあった。奏者番の内4名は
寺社奉行を兼任する(
万治元年(
1658年)以後)。詰衆からの登用が多く、江戸城内の詰席は芙蓉の間であった。