従来は幕府から個々の領主に対して、領地判物・朱印状などの所領給付を示す文書を与えていたが、寛文4年
3月7日に全国の大名に対して一旦これを返納する事を命じた。続いて、4月5日付で全国の大名に対して同時に
将軍徳川家綱の名義によって同一書式の領知判物・朱印状・領知目録を交付したのである。なお、
御三家とこれに準じる
甲府徳川家及び
館林徳川家、
支藩の
宇和島藩・
伊予吉田藩の扱いについてまとまらなかったために後日交付となった
仙台藩伊達家を除いた219家に交付された。
続いて、寛文5年
3月1日に、公家・門跡・寺社に対しても同様の命令が出されて、同年の7月以後に順次新しい同一書式の領知判物・朱印状・領知目録を交付したのである。なお、公家と複数の
徳川将軍から朱印状を受けた寺社及び50石以上の寺社領を持つ寺社に対しては個々に交付されたが、これに当てはまらない寺社については、所属する
宗派の
本寺などに対して一括して朱印状などが与えられた。これによって公家97家、
門跡寺院27、比丘尼(
尼寺)27、
院家12、その他寺院1076、神社365、その他7に対して交付が行われた。
なお、実際に
奉行としてこれを行ったのは、
大名領担当は
小笠原長矩・
永井尚庸、
公家領担当は
稲葉正則、
寺社領担当は
井上正利・
加々爪直澄、符案及び訂正は
久保正之(
右筆支配)であった。一連の交付によって発給された領知判物・朱印状・領知目録の総数は1830通に及ぶ。後にこれらの内容は『
寛文印知集』(『
寛文印知留』など諸本によって名称は異なる)と呼ばれた記録集にまとめられた。これは作成年代・編者は不明であるが、江戸幕府の全国統治の基本資料として、多くの写本・異本が作成されている。また、これによって同時期の全国の大名の配置と石高がほぼ把握出来るために、
日本史の
教科書などでは、これに基づいて作成された大名の配置図が採用される事が多い。