この政策は
建武政権や
室町幕府にも継承された。室町幕府では仏寺を担当する寺奉行と神社を担当する社家奉行が設置され、更に
禅宗と
律宗(時に
真言律宗)を管轄する
禅律方や
延暦寺を担当する山門奉行、
東大寺・
興福寺を担当する南都奉行など特定の宗派や寺社を担当する奉行人が任命された。
足利義満以後になると、
奉行衆の中から特定寺社を担当する奉行(別奉行)が積極的に配置されるようになった。これらの別奉行は特定有力寺社と幕府の連絡を把握する立場にあったために、寺社側から多額の金品を送られたり反対に寺社側と奉行の対立が政治問題化する場合もあった(例:
足利義教の山門奉行
飯尾為種と延暦寺の対立)。
足利義政の時代にこうした別奉行の全盛期を迎えるが、応仁の乱以後の幕府機構の衰退とともに没落していく。
江戸幕府に置いては、
慶長17年(
1612年)に
以心崇伝・
板倉勝重に寺社に関する職務にあたらせたが具体的な役職は設置しなかった(なお、崇伝は僧侶、勝重は
還俗者である)。将軍家光時代の寛永10年(
1633年)、板倉勝重の没後、専任で寺社に関する職務にあたっていた崇伝の死去によって担当者が不在となってしまった。そのため、寛永12年(1635年)、寺社や遠国における訴訟担当の諸職として創設された。諸職ははじめ将軍直轄であったが、
老中制の確立とともに老中の所管となり、将軍家綱時代の寛文2年(1662年)に将軍直属に戻る。