過去、
第2次若槻内閣や
浜口内閣に対する攻撃、
天皇機関説排撃事件などで、元老
西園寺公望に嫌われており、本人のつよい希望にもかかわらず首相候補に推されることがなく、また
枢密院議長に就任できずに副議長に留め置かれたままであった。そこで平沼は西園寺と彼が育てた
立憲政友会を潰すために
国策捜査(
帝人事件)を行わせたが、彼の意向を受けた検事達の捜査は政友会幹部らの逮捕を優先して裏付けとなる証拠収集があまりにも杜撰であっために、公判では全員無実無根であるとして無罪判決が出されてしまった。
さすがに帝人事件後は慎重を期して西園寺が老齢により政治の表舞台から一歩引いた後に、枢密院議長に就任すると国本社を解散し、親英米派と妥協することでようやく首相の座に就くことができた。