天正7年(
1579年)に
数え年12歳で伊達政宗の元に嫁ぐ。ところが、自分の暗殺未遂事件には、
田村氏からの内通者の関与があったと疑った政宗によって、彼女の乳母は殺害される。他、多くの愛姫付きの
侍女たちが死罪にされたため、一時、夫婦仲が悪くなったと伝えられている。しかし、その後、夫婦関係は修復に向かったと思われ、彼女が京の
聚楽第の伊達屋敷に移ってから、
文禄3年(
1594年)には
五郎八姫(
松平忠輝室)を出産。それから、
忠宗(
仙台藩二代藩主)・
宗綱・
竹松丸と、政宗との間に4人の子をもうけた。
田村家には愛姫以外の子女がいなかったため、政宗との結婚の際、二人の次男を田村家の養子に迎えるという話がついていたが、次男の宗綱は16歳で夭折。後の竹松丸も夭折したため、田村氏の復興は忠宗の三男宗良の代まで待つことになった。