1949年に刊行された戦没学生の遺文集『きけ わだつみのこえ』の刊行をきっかけに、刊行元である
東大協同組合を中心に、1950年「戦争体験の継承」「戦争体験の思想化」を標榜し結成された(第1次わだつみ会)。会は戦没学生を記念する「
わだつみ像」を制作するとともに、現在に至るまで『きけ わだつみのこえ』の編集を主要な活動としている。第1次わだつみ会の時代には学生層が中心となり、運動の政治化・先鋭化とそれをめぐる対立が激化したため、
1958年の第9回大会をもっていったん解散した。
しかし会は解散から間もない翌
1959年6月には再結成され(第2次わだつみ会)、それまでの活動の反省を踏まえて反戦運動・政治運動からは距離を置いた。このため会の運営はやや年上の
戦中派世代の知識人・著名文化人が中心となった。しかし今度は戦争経験を持たない若い世代との対立が激しくなり、
1969年の
立命館大学での「わだつみ像」破壊事件などをきっかけに若い会員が大量に脱退した。戦中派世代だけで再建された第3次わだつみ会では少年兵経験を持つ
渡辺清が運営の中心になり、機関誌『わだつみのこえ』で「天皇制特集」を企画するなどして再び会員層を広げ、現在に至っている。