かつては琉球國と称していたが、今日では一般に琉球王国と呼ばれている。「りゅうきゅう」は元来中国の史書『
隋書』卷81 列傳第46 東夷 流求國に記述される、
大業6年(610年)に
隋の属国にされた国の呼称「」によるものである。後の『
北史』、『
通典』、『諸蕃志』では『隋書』の内容を踏襲、『太平寰宇記』においても内容に大差はなかった。『
文献通考』により琉球は、台湾と沖縄県周辺の混同記述となった。
明との交易が始まった14世紀頃には沖縄県周辺の呼称として定着し、また自国の呼称として琉球國という国名が、の琉球藩設置まで用いられた。サン・デニーは『文献通考』の一部を翻訳し、その琉球条により流求は
台湾であるとする説を発表し、1895年
グスタフ・シュレーゲルは、
元以前の琉球は台湾で、
明からは沖縄県周辺が琉球になったとする説を発表した。帝国大学文科大学(現
東京大学)史学科教授ルードヴィヒ・リースの著書『台湾島史』(吉国藤吉郎訳、)でも流求は台湾とし、他に漠然と中国東方にある島々を指していたとも言われて、必ずしも今日の沖縄県周辺を意味する呼称ではなかったとされる。