最高裁長官時代の田中の発言として有名なものとして、後に「世紀の
冤罪」として世間を賑わせた
八海事件の際に、
マスコミが検察側や判決に対して展開した批判や、
弁護士の
正木ひろしが著書『裁判官 人の命は権力で奪えるものか』で述べた批判に対しての「雑音に惑わされるな」という発言や、
松川事件の下級審判決を「木を見て森を見ざるもの」という発言などがある。
妻は峰子(松本烝治の娘)。この妻の影響を受けて、無教会主義キリスト教から、カトリックに変わる。以後、カトリックの立場からの反共産主義を唱える。なお、大学時代、「お月さまの妖精」と自ら呼んだ女性に恋いこがれたエピソードもある。
第二次世界大戦末期には、
南原繁、
高木八尺らと東京帝大の知米派教授グループによる対米終戦交渉、
カトリック信者としての人脈を生かしてのローマ
教皇庁を通じた対外和平工作にも関与した。敗戦まで16年獄中にいた
日本共産党幹部の
志賀義雄が一高の同窓生であることもあって、食料や本などの差し入れを続け、戦時中は軍部にとって要注意人物とされた。しかし、最高裁判所長官就任後に、「田中長官、共産主義の仮面を痛撃『目的は憲法の否定』」と報じられるなど、田中自身は戦前も戦後も、一貫して
反共主義者であった。