745年(天宝4年)、南陽から東都
洛陽の荷沢寺に移ったことにより、荷沢神会と呼ばれる。洛陽に入った後も、『菩提達摩南宗定是非論』等の論書を著して盛んに北宗批判を展開した。一時、その過激な言動のゆえに洛陽を追われたこともあったが、
755年(天宝14年)に
安史の乱が起こると、
香水銭と呼ばれる金銭を国に納めることによる授戒制度の創設を上言した。もちろん、香水銭は
安史の乱平定のための軍費に充てられ、この功績によって神会は、
粛宗に重用され、拡充された荷沢寺に戻ることができた。なお、香水銭は、
北宋代以降、国家財政上の理由から常態化する
売牒制度の起源である。