貿易銀 wikipedia|無料辞書
◆ アメリカ
アメリカは新たに発見された
ネバダ鉱山の産銀の販路を開拓し、貿易商らが量目、銀品位(903)ともにやや高く当時世界の貿易市場において支配的であったメキシコ銀貨に付加したプレミアムを解消する目的もあった。
現存する多くの貿易銀にはチョップと呼ばれる刻印が見受けられるが、これは中国商人が銀品位を鑑定しその刻印の信用の元で通用したのであった。
しかし既にTrade Dollarには製造量に見合うほど輸出高は伸びず、本来の目的を果たさずアメリカ国内で流通しているといった問題点が浮上していた。これは当時の世界的な産銀量の増大により銀相場が下落し、Trade Dollarの地金価値がの地金価値を下回り、銀地金の所有者はこぞって銀地金を造幣局に持ち込みTrade Dollarへの鋳造を申請したためであった
[『日本の貨幣 -収集の手引き-』 日本貨幣商協同組合、1998年]。
このためアメリカ政府は
1878年にTrade Dollarの発行を中止し、量目を412.5グレーンに戻したに復帰することとなり、Trade Dollarを廃貨とし、1ドル銀貨を
本位貨幣から
補助貨幣に格下げした。1878年以降は
1885年まで
プルーフ貨幣のみが少量、製造された
[Chester L. Krause and Clofford Mishler, Colin R. Brucell, Standard catalog of WORLD COINS, Krause publications, 1989]。
◆ 日本
明治4年(1871年)の
新貨条例で貿易一圓銀貨百
圓は金貨百一圓に等価であるとして金貨同様に自由鋳造を認めたのであったが、メキシコ銀貨は平均417グレーン(27.02グラム)と日本の貿易一圓銀貨の416グレーン(26.96グラム)にやや勝っており、日本政府はこのことが一圓銀貨の流通を阻害しているものと考え、1873年より発行された量目420グレーンのアメリカの貿易銀が暫時東洋市場に勢力を伸ばしている状況を顧みて、日本もこれに倣い明治8年(
1875年)2月28日の布告により表示を「貿易銀」に改め、量目を420グレーンに増量した貿易銀を発行することとなった
[大蔵省編纂 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省、1939年]。
明治9年(
1876年)3月4日には貿易一圓銀貨と金貨は等価と変更された。
明治11年(
1878年)5月27日には貿易一圓銀貨の日本国内一般流通を認め、事実上
金銀複本位制となった。貿易一圓銀貨および貿易銀を無制限通用の本位貨幣に引き上げた点はアメリカと異なる政策であった
[『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年]。
量目を引き上げたにも拘らず国際通貨としての地位を築けなかったことから、明治11年11月26日にはアメリカに追随し、貿易銀の製造を停止し、明治7年(
1874年)から発行されていた貿易一圓銀貨に復帰することとなった
[『造幣局百年史(資料編)』 大蔵省造幣局、1971年]。
◆ イギリス
1819年の
シンガポール、
1842年の
香港の設立に伴い、イギリスの商社の東洋との貿易に対する関心が高まり、様々な外国銀貨が流通する中、イギリス植民地の信頼がゆらいでいた事から、特別の貿易専用銀貨の製造が必要となっていた。
中国は
1840年から始まった
アヘン戦争の敗戦の結果、香港をイギリスに割譲し多くの港を開港することとなった。その後数十年間にイギリスの貿易商らがこの地域に集中することになり貿易港として栄え、中国の
絹、
茶および
磁器の代金支払いに貿易銀が用いられ、この銀貨は中国国内でも流通するようになった。
裏面には
漢字で「壹圓」、さらに
マレー文字が表記され、当時主に銀貨が流通していた東洋で貿易取引に使用することを前提とするものであった。
1937年8月1日にイギリスの貿易銀は廃貨となった。
◆ 発行枚数