同年、代わって
常陸国笠間藩より
浅野長直が5万3000石で入封した。長直は石高にそぐわない宏壮な赤穂城を旧城の南に13年かけて築城し、更に
城下町も造営した。転封と工事により財政は悪化。池田氏の代より始まっていた塩田開発を奨励し整備を行い
塩を赤穂の特産品とした。以後、塩は赤穂の特産として藩財政を支えて行くこととなる(当時は通称「赤穂塩」と呼ばれていた。現在の現地遺跡の発掘により、その起源は、
弥生時代にまで遡るとする研究結果もある)。
同年、
備中国より
森長直が2万石で入封。
廃藩置県までの12代165年間、赤穂藩主としては最も長く在封した。森家の在封期間を通じて藩政は困窮しており、時代を追うごとに悪化の一途を辿った。第5代藩主・
忠洪は財政改革を断行。藩主自ら質素倹約を行い、貯蓄を奨励した。更に塩田開発や
蝋燭の原料となる
櫨の植林等殖産興業にも努めた。しかし、財政の再建はままならなかった。第10代藩主・
忠徳は
文化6年(
1809年)、遂に塩を専売制とした。